神戸地方裁判所尼崎支部 昭和53年(ワ)411号 判決 1986年5月20日
原告
尾脇豊子
右訴訟代理人弁護士
松本健男
桜井健雄
在間秀和
里見和夫
正木孝明
尼崎市職員厚生会承継人
被告
財団法人尼崎市職員自治振興会
右代表者理事
照弘行
右訴訟代理人弁護士
大白勝
後藤由二
梶原高明
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し、七二六万〇四四一円及び内三六二万円に対する昭和五三年八月一一日から、内三六四万〇四四一円に対する昭和五九年三月一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
3 仮執行の宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和四五年一〇月一日被告の前身である尼崎市職員厚生会に尼崎市職員会館(以下「会館」という。)の職員として雇用され、同五五年四月一日被告の設立に伴いその地位を引継がれ、現に被告の職員として勤務している。
尼崎市職員厚生会は、会員である尼崎市職員の福利厚生団体として会館の管理運営に当たつていたものであるが、本訴提起後の昭和五五年四月一日被告が設立されたことに伴い、発展的に解消し、その権利義務のすべてが被告に承継された。
会館は、被告(以下尼崎市職員厚生会当時をも含めて被告という。)の会員が各種集会、宴会、麻雀、囲碁等の娯楽、テニス・バレーボール等の体育及び宿泊等に利用するためのレクリエーション施設であり、食堂、体育館、宿泊部屋数室、娯楽室のある二階建建物と、テニスコート、バレーコート等がある。
2 原告の業務
原告は、被告に会館の管理人として採用されたのであるが、以後本来の管理人の業務とは到底思えない調理補助や利用者に対する飲食物提供、料理盛付、運搬、配膳、宴会終了後の下膳、跡かたづけ、洗い仕事、宿泊者に対する世話等の作業をも含めて、あまりにも苛酷な労働に従事させられた。
(一) 昭和四五年一〇月一日以降同四七年九月三〇日までの期間
原告が採用された時点での会館従業員は、館長、調理人、接遇員(松井ユキ子)のほか、管理人の原告とその夫尾脇幹雄の五名であり、そのうち原告ら夫婦のみが住込みで、他は通勤であつた。会館従業員には、労働条件として休日、休暇及び賃金のみが定められていたが、就業規則は存在せず、とりわけ、住込みであつた原告らについては、労働時間が全く定められず、年末年始の休日においても原告ら夫婦のうち一名の在館が義務づけられていた。原告ら管理人の日常の業務は、午前七時過ぎから午後一〇時過ぎ頃までに及ぶ過重なものであつて、その内容は、午前七時三〇分頃より午前一二時頃までの間に、湯茶の準備、運搬、会館建物外の清掃、整理、会館内各部屋の清掃、テーブル等の配置を行なうが、その間に電話、来館者の応待があり、文字通り会館内を走り回る程の忙しさであつた。午前一二時に調理人が出勤し、原告は調理補助の仕事にたずさわり、午後二時館長と接遇員が出勤し、原告は接遇員とともに調理補助及び料理を会館二階の各部屋に配膳する業務に従事させられた。午後五時頃には会館利用者の来館が集中し、配膳・飲物の運搬作業がたて込むが、当時従業員の最若年であつた原告に右作業が集中した。その後の宴会においても接遇の作業があり、宴会が終了する午後九時三〇分頃からは、接遇員と原告の二名で食器の跡かたづけや洗浄作業に追われた。午後一〇時には会館は閉館となり、接遇員も帰宅するが、原告の食器洗い等の仕事は依然継続し、会館の戸閉りで一応その日の業務を終えるという毎日であつた(なお、右期間中、昭和四六年八月一日より接遇員の勤務時間が午前一一時から午後七時までとされた後は、午後七時以降の宴会の世話、跡かたづけ等は殆んど原告一人の作業となつた。)。右業務を終える時間は、平均して午後一一時頃、遅い時で翌日の午前三時頃に及ぶこともあつた。その外に、寄泊者がある場合には、それについての接待業務は、殆んど原告一人の負担となり、午前五時頃に起床して、食事の準備、寝具の跡かたづけ等の仕事に従事しなければならなかつた。
(二) 昭和四七年一〇月一日以降同四八年七月までの期間
昭和四七年九月三〇日に接遇員松井ユキ子が退職したため、右の期間中は接遇員一名欠員の状態が続き、また当時の館長が昭和四七年七月頃から病気で休み勝ちとなり、同年一一月からは五か月間病欠となつたため、原告の労働は以前より増して負担が大きくなつた。
(三) 昭和四八年八月以降同四九年三月までの期間
昭和四八年八月接遇員が補充され若干原告の作業も軽減され、配膳作業もしなくてもよくなつたが、昭和四八年九月には、管理人の一人であつた原告の夫尾脇幹雄が病気で倒れ、翌四九年二月八日からは大腸炎、胃炎のため病欠となつたため、管理人業務は原告一人に加重されるようになつた。
(四) 昭和四九年四月会館休館以降同年九月二〇日会館再開までの期間
会館は、昭和四九年四月から臨時休館となつたが、この頃から原告は身体の異常、すなわち腰・両手足の痛み、頭痛、全身の倦怠感、足のむくみ、寝つきにくい等の異常を自覚しだした。会館は同年九月二〇日に再開されたが、原告は、右休館中、建具の修理、溝掃除、除草、倉庫、備品の整理、炎天下における重量物の運搬等の不慣れな労働に従事させられ、身体の異常は一層明確になつてきた。
(五) 昭和四九年九月二〇日会館再開後の期間
会館再開時、はじめて就業規則が明示され、従業員もパートの女性二名、日直者男性一名が補充されたが、それに伴い会館利用者が増加した。原告の勤務時間もはじめて明確にされ、午前九時から同一二時まで、午後四時三〇分から同七時まで、午後八時三〇分から同一〇時までとされたが、右時間帯は、作業が集中するだけに、原告の労働量はそれ程軽減されなかつた。その後、右の断続勤務が余りにきびしいため、原告が被告に訴えた結果、ようやく昭和五〇年五月一三日から継続八時間労働(午後二時から同一〇時まで)に変更されたが、その時には原告の身体は既に回復し難い程にむしばまれていた。
3 原告の疾病
原告は、昭和四九年四月の会館休館の頃から、前記のとおり身体の異常を自覚し始め、その傾向を強めて行つた。そのうち昭和四九年一〇月一六日と同五〇年四月二二日の二回、作業中に激しい腰痛に見舞われ、通院加療を受けながら勤務を続けたが、その頃には原告の身体は相当むしばまれており、しばしば医師の治療を受けなければならなかつた。そして、昭和五〇年六月一九日からは休業して加療を受けるようになり、同月三〇日には合志外科病院において腰痛症、頸肩腕症候群と診断され、昭和五二年四月まで通院(但し、その間昭和五一年三月一五日から同年四月三〇日まで入院)加療を続けた。その後は通勤の接遇員として勤務を続けながら、腰痛症と頸肩腕症候群の通院治療を継続しているが、現在なおその症状に苦しんでいる。
4 原告の疾病と業務との因果関係
原告の腰痛症及び頸肩腕症候群は、原告が七年九か月の長期にわたり、会館における苛酷な業務に従事してきたことに起因するものである。このことは、尼崎労働基準監督署が昭和五一年一〇月二六日原告の右疾病を労働災害と認定し、療養補償給付をなしていることによつても明らかである。
5 被告の責任
被告は、雇用契約上、労働基準法(以下単に労基法という。)、労働安全衛生法の諸規定を守り、その被傭者の生命・身体・健康を保持すべき義務(安全配慮義務)を負つているが、被告は、原告に対して次のとおり処遇して右義務を履行しなかつた。
(一) 原告の職務内容が不明確であり、かつ苛酷な作業の強制
原告は会館管理人として採用されたのであるが、被告からは具体的な作業内容の説明がなく、実際に原告が従事させられた作業は、前記のとおり、本来の管理人の職務とは到底思えない苛酷な作業に及んだし、宿泊者に対する世話はすべて原告一人の仕事とされ、分担の不明確な様々な雑用すべてが原告に集中するといつた苛酷な作業を強いられた。
(二) 労働時間等における労基法違反
会館従業員の勤務時間、休日等は、原告ら夫婦以外の従業員については明確であつたが、原告らの夫婦については不明確のままで、明確にされたのは昭和四九年九月二〇日の会館再開からであるが、その明確にされた労働時間の定めも労基法に反する状況であつて、労基法の定めが守られたのは昭和五〇年五月一三日にいたつてからにすぎず、その間労働時間や休日について労基法の違反があつた。この労働時間等の労基法違反の状態が原告の健康破綻の大きな要素となつている。
(三) 従業員に対する健康管理の不備
被告は、原告ら従業員の健康管理につき何らの措置をとらず、その責任で健康診断を行うようになつたのは昭和四九年六月二一日がはじめである。健康診断を定期的に行うことは労働安全衛生法上の基本的な義務であるのに、被告は右義務を遵守せず、原告ら従業員の健康管理に配慮しなかつた。
原告は、昭和四五年一一月以降勤務が厳しすぎると館長に訴え、以後しばしば労働条件の改善を申し出たのに、被告は殆んどこの申出を無視した。
(四) 被告は、従業員の原告に対し、職務内容の明確化・労働時間の調整等の労働条件の整備、職場環境の改善、定期健康診断を行なつて、職業病の予防、早期発見に努めるとともに、申告・診断によりこれを発見したときは、早期に労働条件の整備・職場環境の改善・人員の補充増員を適切に行ない、症状の悪化を防ぎ、その健康回復に必要な措置を講ずる義務があるところ、右義務を履行せず、そのため原告が前記疾病に罹患した。
原告の疾病は、被告が原告に対する安全配慮義務を怠つたこと又は不注意によつて右義務を尽くさなかつた過失によるものであるから、被告には債務不履行又は不法行為責任があり、原告が右疾病によつて被つた後記8(一)の損害を賠償すべき義務がある。
6 厚生年金保険への加入手続懈怠
被告は、その事業として「会員の臨時の支出に対する貸付け」「会員の需要する生活必需物資の供給」等を行なつていたのであり、かつ、少なくとも原告の採用時以降においては常時五名以上の従業員を使用していたのであるから、厚生年金保険法(以下、単に厚年法という。)六条一項一号チ及びリに該当する厚生年金保険の強制適用事業所であつた。原告は、被告の従業員として、昭和四九年一一月頃右厚生年金保険への加入を被告に要請したが、被告はこれを全く受けつけなかつた。そして、原告の夫尾脇幹雄が死亡した昭和五〇年一一月一五日当時、被告はまだ右保険には未加入のままであり、その後昭和五二年八月一日に至つて漸く右保険に強制加入した。
7 被告の責任
被告は、前記のとおり厚生年金保険の強制適用事業所であつたのであるから、原告ら従業員からの要求を待つまでもなく、雇用契約に付随する義務として右保険に加入する義務があつたのである。しかるに、被告は、尾脇幹雄死亡に至つて初めて同保険への強制加入の手続をとつたものであるから、被告には債務不履行責任があり、原告がこれによつて被つた後記8(二)の損害を賠償すべき義務がある。
8 損害<省略>
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1の事実は認める。
2 同2の事実中、原告が採用された時点での会館従業員が館長、調理人、接遇員、管理人の尾脇幹雄及び原告(但し、原告は管理人ではなく管理人補助兼接遇員補助である。)の五名であり、原告ら夫婦のみが住込みで他は通勤であつたこと、湯茶の準備、運搬、会館建物外の清掃、整備、会館内各部屋の清掃、テーブル等の配置、電話及び来館者の応待といつた仕事の一部が原告の業務であつたこと、昭和四七年九月三〇日には接遇員一名が退職し、館長もその後五か月間病欠したこと、昭和四八年八月に接遇員一名が雇用されたこと、昭和四九年二月八日から原告の夫尾脇幹雄が原告主張の疾病により病欠したこと、会館が昭和四九年四月一日から休館となり、同年九月二〇日再開されたこと、再開時にはパートタイマーの女性二名と日直者男性一名が雇用され、原告の勤務時間が午前九時から同一二時まで、午後四時三〇分から同七時まで、午後八時三〇分から同一〇時までとされたこと、昭和五〇年五月からは原告の勤務時間が午後二時から同一〇時までの継続八時間労働に変更されたことは認めるが、その余は否認する。
3 同3の事実中、原告が昭和四九年一〇月一七日以降通院欠勤を繰り返し、昭和五〇年六月三〇日以降昭和五二年三月三一日まで継続して欠勤したことは認めるが、その余は否認する。
4 同4の事実は否認する。
5 同5は争う。
6 同6の事実中、被告が事業として「会員の臨時の支出に対する貸付け」「会員の需要する生活必需物資の供給」等を行なつていたこと、原告の夫が死亡した昭和五〇年一一月一五日当時会館従業員が厚生年金保険に加入していなかつたこと、昭和五二年八月一日会館の従業員が右保険に加入したことは認めるが、その余は争う。
7 同7は争う。
8 同8(一)の事実は争う。
同(二)の事実中、原告主張の各期間について厚生年金保険の遺族年金の最低保障額がその主張のとおりであること(但し、最低保障額の年額が三三万九六〇〇円から三九万六〇〇〇円になつたのは昭和五一年八月一日からである。)は認めるが、その余は争う。
同(三)の事実は争う。
三 被告の主張
1 原告の疾病と業務との因果関係について
(一) 原告は、被告の管理運営する会館の管理人補助兼接遇員補助として採用された者(但し、昭和四九年九月二〇日以降は接遇業務に従事する者)であるが、会館事業中の原告の業務は、補助である性質上、主たる担当者(管理人尾脇幹雄や接遇員)より作業量は軽減され、主たる担当者との分担又は共同作業として行なわれていたし、日々の利用状況や忙しさに応じて、ある仕事を翌日にまわし、又は省略して後日行なうなど相当数の仕事が融通のきくものであつたのであり、被告としても館長を通じて作業時間、作業量の調整に心がけていたものであつて、決して過重なものではない。しかも、その仕事は、多様性に富んだ各種の混合作業であり、同一作業を長時間にわたつて続けるといつたことはなく、動的筋労作や静的筋労作に当たるような作業は何一つ存在せず、一時的に前かがみになるような作業をすることがあつても、その姿勢は強制されるようなものではない。問題とされる運搬作業にしてもコンテナ等に入れられた大体一五キログラム未満の持ち易い物ばかりの運搬であり、食器洗いをする洗い場所の高さは八〇センチメートルであつて、原告の身長からみて中腰になる必要はないので、不自然な姿勢を強制されるわけはない。
(二) 原告の会館における作業態様は右のとおりであつて、労働省労働基準局長通達「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」(昭和五〇年二月五日付け基発第五九号)の基準に照らしても、業務上の頸肩腕症候群を発症させる要因は全く見出せない。また原告の右作業内容や作業の量及び質からすると、労働省労働基準局長通達「業務上腰痛の認定基準等について」(昭和五一年一〇月一六日付け基発第七五〇号)に照らしても、漸時軽快するギックリ腰の如き災害性腰痛症を除けば、労働災害としての腰痛症の発症する可能性は皆無というべきである。
(三) 会館は、昭和四九年四月一日から同年九月二〇日まで休館し、その間利用者は全くなかつたため、全従業員に対し、四月一日から五月一七日までは自宅待機、その後は会館内外の清掃、整理、整頓等の作業を行わせたが、一日の作業時間は短かく、ノルマを課すことはなく、徐々に進めていつたものであつて、決して過重なものではなかつた。また、原告は、昭和四九年一〇月一七日以降入通院と休業を繰り返し、殆んど会館業務に従事せず、遂には昭和五〇年六月三〇日から昭和五二年三月三一日まで二二か月にわたつて欠勤休養し、集中的に治療を受けたものであつて、仮に原告の腰痛症及び頸肩腕症候群が業務に起因しているとすれば、右のようにその原因である業務から離れ、治療を受けたにもかかわらず、完治しないなどということは医学上考えられず、このことは原告主張の疾病が仮に存するとしても、それが会館における原告の業務に起因しないことを如実に示すものである。ちなみに、原告は昭和四六年二月以降昭和五四年一一月にかけて極めて多種多様の疾病により医院等で治療を受けており、肉体的精神的に病的素因の持主である。
2 被告に安全配慮義務違反のないことについて
原告が会館で行なつている業務は、その作業内容及び態様からみて、業務上の腰痛症や頸肩腕症候群の発症が予想されるようなものではなく、右疾病の発症を招くような過重なものでないから、仮に原告主張の疾病が発症したとしても、業務との間に因果関係はなく、もし疾病の発症が会館における業務によるものであつたとしても、被告としては右業務によつて右疾病の発症を予見することは不可能であるから被告に安全配慮義務違反はなく、被告が債務不履行或は不法行為責任を負ういわれはない。
3 厚生年金保険への加入について
(一) 会館は、厚年法上は、被告とは別個に適用される事業所である。すなわち、会館において行う事業の事業主が被告であるとしても、同法にいう「事業所」に該当するかどうかの認定においては、同法八条の二の規定の趣旨に鑑み、、被告が行うそれぞれの事業を具体的に実施している場所ごとに、当該場所をもつて同法にいう「事業所」であると解すべきであり、会館がこれに当たるものである(なお、被告は、会館以外に、他に従業員を雇用して事業を行なつている事業所をもたない。)。
(二) ところで、会館の事業は、会館が尼崎市職員厚生会規則二一条一項一号に規定する会員の保健、保養若しくは宿泊又は教養のための非営利的な事業を行なう施設であることからして、会館内の部屋等を利用して会合等を行なう会員に対して飲食物等のサービスを主として提供するものであつて、いわゆる料理店、飲食店等の事業に類似する。会館の右のような事業は、物の販売のみを目的とするものではなく、場所の提供、サービス等を含んでおり、社会通念上物品の販売業とは区別されるものである。従つて、会館は、厚年法六条一項一号チに掲げる事業に該当するものではなく、同号に掲げる他の事業にも該当しないから、厚生年金保険の強制適用事業所ではなく、任意適用事業所である。
(三) 被告としては、任意適用事業所である会館につき、昭和四九年に厚生年金保険の適用事業所として兵庫県知事の認可を受けるべく、原告を含め従業員の同意を得ようとしたが、右同意は従業員の二分の一に達しなかつたため、申請を見送り、その後昭和五二年に至り、初めて従業員の二分の一以上の同意が得られたので、申請手続を行なつたところ、尼崎社会保険事務所より強制適用であれ、任意適用であれ、適用後の効果に差異はなく、強制適用の方が簡単で迅速である(知事認可が不要)こと等を理由に強制適用事業所としての適用を受けたらどうかと勧められ、被告もすみやかな適用を希望してこれに従い、昭和五二年八月一五日その旨の加入手続をとり、同月一日に遡つて適用事業所となつたのである。
従つて、会館は、あくまで任意適用事業所にすぎず、被告が強制適用事業所であるとして、これが加入手続懈怠を理由に、被告に対して損害賠償を求める原告の請求は失当である。
4 遺族年金の受給について
(一) 仮に会館が原告の夫幹雄の死亡時において強制適用事業所に該当していたとしても、原告は、次に述べるとおり、遺族年金を受給することが厚年法上可能であつたのであるから、原告において、そのために必要な手続をとらずして、一方的に被告の責めにより損害が生じているとして、被告に対し損害賠償請求をするのは失当である。
(1) 厚生年金保険の「被保険者」とは、厚年法六条に規定する適用事業所に使用される者をいうものとされており、当該適用事業所が強制適用事業所に該当するものであれば、加入手続の有無を問わず、また本人の意思に関係なく、その事業所に使用される者は、当然に被保険者となるものである。原告の夫幹雄は、死亡日たる昭和五〇年一一月一五日現在、会館の管理人として右事業所に使用される者であつたのであるから、会館が強制適用事業所に該当するというのであれば、死亡日現在、被保険者に該当していたことになる。
(2) そして厚年法五八条によると、遺族年金は一定の被保険者期間等を満たしている被保険者又は被保険者であつた者の死亡によりその遺族に支給されるのであり、被保険者期間が六か月以上である被保険者の死亡のときも遺族年金は支給されるところ、幹雄の厚生年金保険の被保険者期間は、会館へ勤務する前の被保険者期間(昭和三一年一二月一九日から昭和三二年六月二一日まで、昭和三四年六月一日から同年一〇月一日まで、昭和三七年一月一日から昭和四五年七月一日まで)九年四か月と、会館での被保険者期間(昭和四五年一〇月一日から昭和五〇年一一月一五日まで)五年一か月の合計一四年五か月であるので、幹雄の死亡は、遺族年金支給の要件である被保険者期間が六か月以上の被保険者の死亡に該当し、配偶者たる原告は遺族年金の受給権者に該当する。
(二) 従つて、原告は、幹雄の死亡時もしくは本訴提起前に、そして現時点においても、遺族年金の支給請求手続を取りさえすれば、これを受給することができたのである。
仮に原告の遺族年金支給権が時効により消滅しているとしても、時効により消滅した責めは、請求手続を行わなかつた原告自らが負うべきものである。
5 損益相殺について
(一) 仮に遺族年金に相当する損害額の賠償請求が認められるとしても、原告は、自らが加入している国民年金により、夫幹雄の死亡を支給原因として昭和五一年三月四日から昭和五八年一〇月二七日までに総額四三六万五一五四円の母子年金を受給しており、この額は遺族年金相当額の損害として原告が主張している損害額総計三九六万〇四四一円を超えている。
この母子年金は、会館が厚生年金保険の強制適用を受け、会館の従業員がその被保険者であれば、受給できず、夫の死亡という同一の原因に基づくものであるから、厚生年金保険の遺族年金相当額と損益相殺されなければならない。
(二) 仮に、右母子年金の受給が、原告の自ら加入し出捐した国民年金からの受給であるとし、幹雄のみが厚生年金保険に加入し、原告が国民年金に加入していたとすれば、原告が遺族年金を受給する場合には、母子年金は、その三分の一の額の支給が停止されることになるから、遺族年金の全額につき損害賠償額に算入するのは相当でなく、原告が現に受給している母子年金総額四三六万五一五四円の三分の一に当たる一四五万五〇五一円が当該遺族年金相当額から控除されるべきである。
四 被告の主張に対する原告の反論
1 原告の疾病と業務との因果関係について
(一) 原告が極めて苛酷な業務に従事していた事実は、館長、調理人及び接遇員は勤務時間が定められていたが、原告とその夫のみが会館に住込み、労働時間が定められていなかつたこと、他の従業員はある程度業務の内容は定まつていたが、原告は会館における清掃、事務、宴会利用者のための世話、その他娯楽利用者の世話、宿泊者に対する食事提供等の世話など諸事雑務全般における業務が対象であつたことからだけでも推測できるところである。原告の作業時間、作業内容は、接遇員や調理人より多く、決してその補助者とはいえないものであつた。
(二) 頸肩腕症候群は家庭の主婦にも多く発症しているが、原告の従事している業務の内容は、主婦の仕事の内容と同様であり、しかもその仕事の範囲は主婦の仕事以上に拡大し、密度において集約され、労働時間において長時間にわたるものであつたから、原告の症状が業務に起因することは明らかである。
(三) 原告の疾病とその症状は、原告が会館の業務に就いて以降発現しているものであつて、その治療に長期間を要したにもかかわらず、完治しないことは、まさにその病状の重さ、すなわち、それまでの長時間の業務の苛酷さを示すものである。なお、被告は、原告が極めて多数の疾病を有していた旨主張するが、これは殆ど原告がもともと有していた疾病ではなく、原告の業務に由来する本件職業病の発現の一形態であつたのである。
2 遺族年金の受給について
被告は、遺族年金の受給が現在でも可能であると主張するが、法解釈上それが仮に可能であつたとしても、既に受給請求権は時効により消滅しているといわざるをえない。通常、被保険者が死亡時において、厚生年金保険に加入していなければ、その年金を受給しえないと考えるのはやむを得ないところであり、被告の責任において、加入手続が遅れたのであるから、時効により請求権が消滅した責任はあげて被告にあるといわねばならない。
3 損益相殺について
被告主張の国民年金の原告受給額については認めるが、右国民年金は、本件厚生年金保険とは別個に原告自ら加入したものであり、それに基づく受給額が、厚生年金保険の遺族年金との関係で損益相殺の対象になるものではない。
第三 証拠<省略>
理由
第一安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求について
一請求原因1の事実は当事者間に争いがなく、右事実と<証拠>によれば、会館は、被告の会員の保健、保養若しくは宿泊又は教養のための施設で、被告が尼崎市から委託を受けて管理運営するものであり、会合や宿泊、スポーツ、娯楽遊戯等の利用者のために、各客室、テニスコート、集会室、娯楽室等の場所や器具備品、飲食物等を提供し、サービスすることを目的としていることが認められる。
二原告の業務内容及び業務の量及び質
そこで、まず原告の業務内容及び業務の量、質に関して検討する。
<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができる。
(昭和四五年一〇月一日から会館が休館した昭和四九年三月三一日までの間)
1 原告は、昭和四五年一〇月一日夫尾脇幹雄とともに会館の管理人として被告に雇用されて勤務することになつたが、原告が就職した当時の会館の従業員は、原告ら夫婦の外に、尼崎市職員の身分を有する館長と、被告が固有に雇用した調理人(福井輝)、接遇員(松井ユキ子)がいて五名であつた。そして原告ら夫婦は会館に住込んで勤務することが雇用条件であつたので、その家族とともに会館内管理人室に住込み、他の従業員はいずれも通勤で勤務していた。
2 会館従業員の職務の内容は、当時被告が定めていた会館に勤務する固有職員の勤務条件に関する基準によれば、次のとおりであつた。
管理人は、館長の命を受けて次の業務を行う。
(一) 会館施設の保全及び備品、什器の管理に関すること
(二) 会館利用の申込みの受付並びに利用料、使用料及び飲食料の収納に関すること
(三) 会館及びその敷地内の清掃に関すること
(四) 宿泊者に対する業務(夕食の調理を除く。)に関すること
(五) 会館管理日誌の記録に関すること
(六) 利用者の食事提供に関すること
(七) その他前各号以外の管理人の業務に関すること
調理人は、館長の命を受け次の業務を行う。
(一) 利用者の食事の調理、提供(朝食を除く。)に関すること
(二) 廚房、食堂の清掃、清潔の保持に関すること
(三) 廚房、食堂内の備品、什器の管理に関すること
(四) 会館及び敷地内の清掃に関すること
(五) その他前各号以外の調理人の業務に関すること
接遇員は、館長の命を受け次の業務を行う。
(一) 利用者の食事の提供に関すること
(二) 宿泊者に対する業務に関すること
(三) 会館及び敷地内の清掃に関すること
(四) その他前各号以外の接遇員の業務に関すること
3 会館従業員の労働時間(年末年始の休館日を除く。)は次のとおりであつた。
(一) 館長
日、月曜日の二日間は休日、火曜日(休館日)は午前九時から午後五時まで、水、木、金は午後二時から午後八時まで、土曜日は午後一時から午後八時まで。
(二) 調理人
火曜日(休館日)は一日休日、その他の曜日は午前一二時から午後八時まで(但し、昭和四六年七月二六日頃からは午前一一時から午後七時まで。)。
(三)接遇員
火曜日(休館日)は一日休日、その他の曜日は午後二時から午後一〇時まで(但し、昭和四六年七月二六日頃からは午前一一時から午後七時まで。)。
(四) 原告ら夫婦
住込みのため、労働時間の定めはないが、一応午前九時から午後一〇時までの断続勤務。但し、火曜日(休館日)は、午前九時から午後五時までは自由時間で、それ以外の時間には一名の在館が義務づけられていた。
4 原告が行う作業内容
管理人の業務は、原告の夫幹雄が主たる役割を担い、原告は同人の業務を輔佐するとともに接遇員の業務を補助することになつていたところ、その作業内容は、およそ次のようなものであつた。
(一) 午前九時頃までの朝の作業
(1) 開館
解錠、廊下のカーテンを明ける、新聞をロビーに取り入れる。
(2) 前日からの宿泊客があるときは、その客への朝食の提供
米をとぐ、炊飯する、お茶を沸かす、前日調理人によつて用意されていた材料で調理し、みそ汁、焼のり、卵、香物、お茶程度の朝食を作る。右食事を廚房横の食堂のテーブルに配膳する、朝食後の食器類を食堂から廚房洗い場まで運搬する。
(3) 玄関・ロビー・事務室等の清掃
掃く、ふく、モップをかける(但し、外部委託清掃業者による月二回の月間定期清掃、年四回の年間定期清掃が行なわれた。)。
(4) 宿泊者からの飲食料・利用料の収納、宿泊客の送り出し
(二) 午前中より午後にかけての作業
(1) 宿泊者の利用した部屋の跡かたづけ
ゆかた・シーツをクリーニングに出すようまとめる、寝具を各部屋の押入れに納める、寝具を干す。
(2) 会館内の清掃
イ 各客室の清掃(電気掃除機の使用、ふく)
ロ 廊下、階段の掃除(モップをかける)
ハ 便所掃除
ニ 集会室、談話室(配膳室)の掃除(モップをかける)
但し、右ロ、ハ、ニについては外部委託清掃業者による月二回の月間定期清掃、年四回の年間定期清掃が行われた。
(三) 宴会準備
(1) 湯を沸かす、ポットに入れて、茶のセットとして利用予定の各部屋に運ぶ
(2) 利用予定の各部屋に座ぶとん、テーブルを並べる(座ぶとん、テーブルは各部屋の片隅に置いてある。)
(3) 鍋物のコンロをセットする。
(四) 宿泊予定者の夕食、宴会の食事の調理補助・配膳作業(通常宿泊者の夕食、宴会は午後五時三〇分頃より始まるので、当日の食数に応じ適宜作業が進められる。)
(1) 調理人の指示により調理人の調理を手伝う(洗う、切る、盛付ける)
(2) 接遇員の指示により配膳作業を行なう(必要な食器類を整える、料理をコンテナに入れ利用予定の二階各部屋又は一階集会室に運ぶ、コップ・はし・しよう油・ソース・塩・セン抜き・布きんを右各室のテーブルにセットする、注文のビール・ジュースをプラスチックの手提かごに適当数を入れて右各室に運ぶ、酒は一合びんを適当数盆に乗せて運ぶ)
(五) 追加注文に応じる(追加注文は午後八時三〇分までと定められ、以後の注文は受付けないことになつていたが、大部分の利用者は、午後七時三〇分頃までに追加注文をするのが例であつた。)
(六) 宿泊者に対する世話
宿泊者の夕食の跡かたづけ、各部屋の押入れからふとんを出す、敷き整える。
(七) 宴会終了後の下げ膳、跡かたづけ
宴会の終了時間は午後九時までと定められていた。なかには右終了時間を守らない利用者もいたが、殆どの場合は九時前後に終了するのが例であつた。
(1) 残飯類をポリバケツに集め、廚房の外へ出す
(2) 食器類をまとめてコンテナに入れ、廚房内の洗い場に戻す
(3) ビール・酒の空びんを廚房横の倉庫に戻す
(四) 食器の洗浄と収納を行なう(この作業は当日中に行う必要はなく、翌日にまわして行うことでよいとされていた。)
(八) 閉館(通常午後一〇時過ぎに閉館)
部屋・廊下のカーテンをしめる、火気を点検する、施錠する、消灯する。
(九) その他
(1) 麻雀利用者に対する接待(午後一〇時まで)
麻雀については、娯楽室に三卓、麻雀専用の和室二室に各一卓が常時セットされており、利用者に麻雀牌・点棒を手渡すこと、お茶をポットに入れて用意しておくことが主たる作業であつた。五卓以上の利用者がある場合には、倉庫内より更に四卓を限度にセットすることがあつた。利用者に対する飲食物・煙草等の世話、跡かたづけ。
(2) 館外清掃(除草・植木の手入れ・芝生の灌水・ごみ焼却)、窓ガラスふき、麻雀牌等の各備品の整備整とん。
(3) テニスコート、囲碁、将棋、卓球、柔道等の各種利用者に対する接待。
5 作業の量及び質
(一) 原告が就職した昭和四五年一〇月一日から会館が休館となつた昭和四九年三月三一日までの間の宿泊利用者数並びにその朝食数及び朝食利用日数の調査結果によると、一か月当たりの平均宿泊利用者数は九・三人、一か月当たりの平均朝食利用日数は〇・五日であり、昭和四八年三月一日から昭和四九年三月三一日までは全く朝食の利用者はなかつた。
また昭和四七年三月、一か月にわたつて、会館従業員の勤務状況、実労働時間数について調査した結果によると、原告をはじめ各従業員の作業時間は全般的に僅かであり、作業と作業との間に十分休憩をとることが可能であつた。
また、会館で行われる宴会等のための食事提供にしても、日常的に開催されていたわけではなく、例年の四、五月は人事異動の関係で、一二月は忘年会等の関係で、宴会利用者が増えることがあつて、月により繁閑が激しく変化がみられるものの、総じて宴会利用が過度にわたり食事提供に追いまくられるといつた例が多いことはなく、そのために特に会館従業員の作業の質量が過重となるというまでにはいたらなかつた。
(二) 接遇員松井ユキ子が昭和四七年九月三〇日退職し、昭和四八年八月一日付で接遇員林田シゲ子が採用されるまで、接遇員一名が欠員となつたが、被告はその間適宜パートタイマーを雇用し、接遇員としての勤務時間中、その業務に従事させた。
また原告は、昭和四七年一〇月からは、調理補助、配膳、食器の洗浄作業を免除され、専ら宴会後の下げ膳作業に従事することに変更された。原告が廚房に運び、水づけにしておいた食器類は翌日林田接遇員やパートタイマーらが洗つた。
(三) 井上良輔館長が病気で昭和四七年一一月末より欠勤状態となり、昭和四八年二月二八日死亡し、同年四月一日新館長として神寶智が就任したが、その間は被告の事務局から職員を派遣して応援したり、原告ら夫婦が自発的に協力して、館長の業務をまかなつた。
(四) 原告の夫幹雄が昭和四八年九月二六日から健康不良で休業することが多く、昭和四九年二月九日以降には潰瘍性大腸炎にて病欠状態(同年三月六日初回入院、同年四月一六日再度入院)となり、昭和五〇年一一月一五日死亡したが、その間は、館長も休日を返上して出勤しており、管理人の仕事は、午後二時までは原告が受付けや利用者に対する応待などを行ない、午後二時から午後一〇時までは主として館長が従事してまかなえた。
また原告については、管理人としての仕事の負担が加わることを考慮して、昭和四九年二月二〇日以降休館までの間、午後二時から午後七時までを自由時間とされたので、原告は、午後七時以降において宴会の追加注文の運搬や宴会後の跡かたづけなどをした。
なお、管理人幹雄が日常していた仕事は、事務連絡のため本庁へ行く、受付事務(料金の受領、精算支払、保管)、麻雀用の備品などを利用者に渡す、注文食を出前店に連絡する、会館の戸締まり、注文飲物の伝票作り、芝刈り、草取りなどが主なものであり、外に芝生の灌水、ごみ焼却、宴会後の下膳・跡かたづけ、追加注文品の運搬など原告の仕事を手伝うことがあつた。その仕事の合い間には館長と世間話をしたり、犬の散歩をすることもできる時間的余裕があり、昼間でも暇なときは管理人室に入つていることもあつた。
(五) 会館従業員の行うべき業務内容は前記2のとおりであり、原告自身の行う作業内容は管理人及び接遇員の仕事を補助することが主であつたから、原告の仕事は、もともと管理人や接遇員と共同若しくは分担して行うことになり、相互補完の可能なものが多く、従つて原告ひとりにのみ仕事の負担がかかるといつたわけのものではなく、また仕事のうちには季節的なもの、毎日行う必要のないものもあり、会館の日々の利用状況や忙しさにも変化があるので、これに応じて次第によつては仕事を後日にまわしたり、省略するなど融通のきくものであつた。そして、一方原告は、業務従事中、自らの家庭の主婦として炊事・洗たく、掃除、子供の世話、買物等の仕事や家族との食事、団らんもできる時間的余裕は与えられていた。
(六) 会館の一階から二階に物の運搬を容易にするリフトが設置される以前の食器、飲食物等の運搬作業は、コンテナ、手提げかご等の持ち易いものに、大体一五キログラム未満の物を入れて運ぶ作業であり、廚房から各部屋への距離にしても長い距離ではなく、一階から二階への階段もその幅、傾斜等の点で特に身体に負担をかける構造ではなかつた。
食器類を洗う廚房洗い場のシンクは、高さ約八〇センチメートルであつて、原告の身長からみて、洗い物の仕事中、中腰になる必要はなく、特に不自然な姿勢を強いられるものではなかつた。
また、腰への負担がかかり易い運搬、配膳作業にしても、これらは原告が毎日長時間、多数回にわたつて行なうものではなかつた。
(昭和四九年四月一日ころから同年九月二〇日ころまでの会館の休館中の間)
会館は昭和四九年四月一日ころから同年九月二〇日ころまで休館となつた。
休館当初の同年五月一八日ころまでは原告ら夫婦にはとりたてて仕事もなく、通勤職員には自宅待機させていたが、同年五月一九日ころから同年九月二〇日ころまでの間は、原告を含む会館従業員は、館長の指示を受けて、館内掃除(畳の虫干し、雑巾がけ、各部屋の掃除)、会館敷地内の芝刈り、除草、除草した雑草の焼却、碁盤・ルームランプ・鏡台・机等の備品の整理、布とん・毛布・衣類の虫干し、廚房の食器の整理、側溝の清掃(ごみ、空かん拾い)等の作業を行つた。
会館従業員にとつては、右の作業内容は会館事業中の作業と異なり、平素やり慣れないものであつたから、多少のとまどいを覚えたものの、休館中に果しておけば足りるところから、実際の作業時間は五月は午前中二時間、午後二時間半、六月及び七月は午前中一時間、午後二時間、八月及び九月は午前中一時間、午後一時間(いずれも午前午後各三〇分の休憩あり)といつた具合で、作業中にノルマを課したわけでなく、ゆつくりしたペースで作業を進めたので、決して無理な作業量ではなかつた。もつとも原告は、右作業が実施されている期間、身体の調子が悪いということで三二日もの休暇をとつていた。
(会館再開後から昭和五二年三月三一日までの間)
会館が事業を再開した昭和四九年九月二〇日ころ以後の原告の勤務時間は、午前九時から午後一二時まで、午後四時三〇分から午後七時まで、午後八時三〇分から午後一〇時までとされた。そして、再開後昭和五二年三月三一日までの「職員会館業務分担表」によると、原告のなすべき業務は、
1 会館及び敷地の清掃に関すること
2 会館の設備、備品、什器類の清掃及び整理・整とんに関すること
3 湯茶の接待に関すること
4 食事等(朝食を除く。)の配膳、跡始末に関すること
5 宿泊者の世話(朝食、寝具、入浴等の準備及び跡かたづけ等)に関すること
6 利用者の受入れ準備に関すること
7 前各号に掲げるほか接遇に関すること
8 朝食の調理に関すること
9 寝具、衣類等の整備に関すること
10 会館の設備、備品、什器の保繕管理に関すること
11 会館の火災予防、盗難防止に関すること
と定められた。しかし再開後の会館は、宿泊利用の受付けを行なわず、昭和四九年末までは例外的に数回の宿泊利用があつただけで、昭和五〇年に入つてからは全く宿泊利用者がなかつたため、原告としては、結局右5、8、9に関する各業務を行うこともなく済んだ。また1ないし4、6、7の各業務については、原告ひとりが行うわけではなく、二人ないし四人の他の従業員やパートタイマーと共同して行なうものであり、10、11の業務も宿泊利用者を受け付けていないこともあつて、殆どすることもなく、負担となるほどの仕事ではなかつた。原告は、午前九時から午前一二時までは利用者の受け入れのための準備的仕事、午後四時三〇分から午後七時までは夜の宴会のため、接遇員と共同で各部屋に料理等を運搬する仕事、午後八時三〇分から午後一〇時まではパートタイマーと共同で宴会後の下げ膳、跡かたづけをするのが主であつた。食器洗いは翌日の午前中にパートタイマーがやり、部屋の掃除やテーブルと座布とんを出すのもパートタイマーがしていた。
総じて、会館再開後は、休館前に比し、原告の仕事はずつと軽く楽になつた。なお、原告の勤務時間は昭和五〇年五月一三日には午後二時から午後一〇時までと変更された。
ところで、原告は、再開後約一か月を経過した昭和四九年一〇月一七日以降欠勤しがちとなり、昭和五〇年一月二九日から同年四月二二日までは半日休暇、同月二三日から同月二八日までは全日休暇、同年六月一九日から昭和五一年六月一三日までは完全休業、同月一四日から昭和五二年三月三一日までは医師の勧告により軽作業に従事することになつた。
(昭和五二年四月一日以降)
原告は昭和五二年四月一日から完全復職し、全日就労するようになつたが、身分は接遇員に、住込みから通勤に変わり、勤務時間も午前一一時から午後七時までとなつたので、それに伴い再開後に定められた前記分担業務も、そのうちいくつかの分担業務をはずされ接遇員としての分担業務となつた。昭和五一年四月一日には一階の調理場から二階の各客室に料理等を運搬するためのリフトが設備されたため、それ以降は接遇員の業務である料理等の運搬は一層楽になつたこともあり、原告の業務の内容は質及び量とも以前にくらべ大いに軽減された。
<証拠>中、右認定に反する部分は採用しがたく、外に右認定をくつがえすに足る証拠はない。
右認定の事実によると、会館における原告の業務は、夫の幹雄と共に会館の管理人として会館に住み込んで勤務するものであつたから、勢い労働時間も不定量であつたことは否めず、そしてその業務内容は多様にわたるけれども、原告が主張するほどに被告が原告に過量で苛酷な作業を強いたと認めることはできない。なるほど会館利用者の繁閑に伴い、時期的に作業が多忙で、時に疲労を覚えるほどの事例があつたにしても、日常的に多忙が続いたわけではなく、繁閑が入りまじり、疲労回復の時間的余裕は与えられていたとみるのが相当であり、作業の質量が女性の原告の荷にあまるほどに皺寄せされて苛酷な労働を余儀なくされたということはできない。
三原告の疾病(腰痛症及び頸肩腕症候群)の発症
<証拠>によると、次の事実が認められる。
1 原告は、会館就職後三か月余を経過した頃から、重症の疾病ではないけれども感冒・湿疹・気管支炎などの疾病に罹患したのをはじめ、昭和四六年二月頃から昭和五三年六月頃にかけ、殆ど毎月といつてよいほど、その間約二〇か所に及ぶ医療機関に赴き、身体各部にわたる多種多様の疾患を訴え、診察治療を受けていてきわめて多病であり(乙第一三号証参照)、会館管理人として就職したものの、会館での仕事に従事しながら病院通いが続くといつても過言ではない状態であつた。腰痛症の関係をみると、すでに昭和四六年八、九月及び昭和四七年五月ころに医療機関で診察治療を受けている。そしてその後昭和四九年八月にいたるまでは腰痛症で診察治療を受けた形跡はみられないが、昭和四九年一〇月以降になつて腰痛症による診察治療が増えている。一方、肩、手足の神経痛、関節炎といつた疾病の関係では、昭和四八年三月頃から同年九月頃にかけて右上腕神経痛、多発性関節炎に、次いで昭和四九年四、五月には両肩甲関節炎にそれぞれ罹患し、そして同年一二月頃からはもつぱら両肩甲関節炎による診察治療が増え、その後昭和五〇年六月ころから頸肩腕症候群といつた診断で治療が行われている。
2 原告は、昭和四九年一〇月一六日会館内でビール瓶を運搬すべく、ビール瓶入りの箱を持ち上げた際、俗にギックリ腰といつた様相の症状に罹患し、同月一七日宮野内科医院では腰痛症、同月二二日立花病院では腰部捻挫との診断で治療を受け、立花病院には同年一一月三〇日まで通院して加療(その間約一か月休業)を受けたが全快せず、痛みは左下肢へ放散し、アキレス腱部にまで及んだ。同年一二月二日には転医して共同外科診療所にて腰部捻挫により診療を受けたていたが、逆に右上肢痛、左頸部痛は増悪し、両足の痛みも感じるようになつた。原告が罹患した右腰部捻挫の疾病は、原告において明らかに被告の業務を行つている際に発生したものであつたから、被告としては業務上の災害と認め、いわゆる公傷扱いで処遇した。次いで、昭和五〇年四月二二日テーブルをふいていた際にころんで腰を痛め、同診療所で引続き腰部捻挫と診断され、同年六月二八日まで通院加療した。
この腰部捻挫の疾病も業務中の負傷ということで業務上の災害と認められて公傷扱いとなつた。
3 その間の昭和五〇年六月一〇日小中島診療所にて腰痛症、頸肩腕症候群の診断を受けたが、その症状は、身体全体が非常に弱り、腰痛が主であり、後頭部が重くて痛みがあり、両手両足がはれ、両足の膝・股関節・肘等に痛みがあつた。右診断では、リュウマチ熱、痛風、貧血、肝炎等の他の疾患を疑い、諸検査をした結果、他の疾患によるものではないと判定された。
4 原告は、更に昭和五〇年六月一九日にも合志外科病院にて腰痛症及び頸肩腕症候群と診断され、同日以降、同外科の診療を受けることになつた。その症状としては、非常に筋力が弱つている、痛みの訴えが強い、筋肉の緊張が強い、硬結度が高い、全身倦怠感が強いとの所見であつた。
5 合志外科病院では、原告の副腎異常、筋ジストロフィー、心臓病などを疑つての諸検査を実施するため、昭和五〇年七月二九日から同年八月二日まで原告を入院させたが、諸検査の結果、腰痛症及び頸肩腕症候群と判定した。
6 原告は、尼崎労働基準監督署に対し、昭和五〇年一二月一日付で腰痛症及び頸肩腕症候群につき労災保険支給の認定を申請したところ、腰痛症については業務に起因する職業病として認定を受けたが、頸肩腕症候群については業務外として一旦認定を拒否された。その後同症候群につき再申請し、昭和五一年一〇月二六日、会館再開以前からの業務に起因する職業病として労災の認定を受けた。
7 合志外科病院にて原告に対してとられた治療方法としては、安靜(全身、筋肉、腱等を休ませる)を主とし、付随的に痛み等について注射し、鎮痛剤を出す、湿布するなどの薬物療法、理学療法を施し、後にはリハビリテーション(腰痛体操、歩行訓練等)を加え、就労するようになつてからの作業上の配慮、生活指導をするなどであつた。
8 原告は、昭和五〇年六月一九日から昭和五一年六月一三日まで完全休業して治療を受け(全身の痛み、不眠、全身倦怠感がひどいため昭和五一年三月一五日から同年四月三〇日まで再入院)、同年六月一四日から昭和五二年三月三一日までは治療を受けながら就労(軽作業に従事)した後、同年四月一日以降復職して全日就労することになつた。
9 原告は、現在、当初あつた症状が軽減してはいるものの、なお残存し、三週間に一回程通院している。今のところ治癒するかどうかは予測できない。
以上の事実が認められ、外に右認定を左右する証拠はない。
右認定の事実によれば、原告は腰痛症及び頸肩腕症候群に罹患し、治療を続けていることが認められる。そしてその発症の時期についは必ずしも明確ではないけれども、腰痛症については、昭和四九年一〇月一六日会館で業務を遂行中ビール瓶入りの箱を持ち上げた際に俗にギックリ腰といつた様相の腰部捻挫の症状に罹患したのを機縁として、その症状が治癒をみないまま、さらに昭和五〇年四月二二日業務の作業中ころんだ際に腰を痛めることがあつて憎悪化が進み、慢性化した腰痛症が続いているとみられ、また頸肩腕症候群については、昭和五〇年六月ころからその旨の診断で治療が行われていることが認められる。
四原告の疾病(腰痛症及び頸肩腕症候群)と業務との関係
原告の前記腰痛症及び頸肩腕症候群の疾病が原告の行つてきた業務とどのような関係にあるか検討する。
1<証拠>によれば、次の事実が認められる。
(一) 労務災害の認定業務においては、その業務の画一性、斉一性、迅速性を確保するために、腰痛症については、昭和五一年一〇月一六日付基発第七五〇号「業務上腰痛の認定基準等について」、頸肩腕症候群については、昭和五〇年二月五日付基発第五九号「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」と、各題する労働省労働基準局長通達が出され、これに基づく運用がなされていること。
(二) 基発第七五〇号通達によると、業務上腰痛の認定基準として、
(1) 災害性の原因による腰痛
業務上の負傷(急激な力の作用による内部組織の損傷を含む。以下同じ。)に起因して労働者に腰痛が発症した場合で、次の二つの要件のいずれをも満たし、かつ医学上療養を必要とするときは、当該腰痛は労働基準法施行規則(以下「労基則」という。)別表第1の2第1号に該当する疾病として取扱う。
イ 腰部の負傷又は腰部の負傷を生ぜしめたと考えられる通常の動作と異なる動作による腰部に対する急激な力の作用が業務遂行中に突発的なできごととして生じたと明らかに認められるものであること。
ロ 腰部に作用した力が腰痛を発症させ、又は腰部の既往症若しくは基礎疾患を著しく増悪させたと医学的に認めるに足りるものであること。
(2) 災害性の原因によらない腰痛
重量物を取り扱う業務等腰部に過度の負担のかかる業務に従事する労働者に腰痛が発症した場合で当該労働者の作業態様、従事期間及び身体的条件からみて、当該腰痛が業務に起因して発症したものと認められ、かつ医学上療養を必要とするものについては、労基則別表第1の2第3号2に該当する疾病として取扱う。と区分し、細目の解説が加えられている。
補足すると、腰痛症には、(イ)自然環境下における腰痛症(業務ないし労働に無関係に発症する腰痛)と、(ロ)業務ないし労働に関係して発生する腰痛症があり、後者はさらに災害性腰痛症、非災害性腰痛症、非災害性慢性腰痛症に分類される。
災害性腰痛症については前記したとおりであるが、非災害性腰痛症は、おおよそ、二〇キログラム以上の重量物又は軽重不同の物をくり返し中腰で取り扱う業務、腰部にとつて極めて不自然ないし非生理的な姿勢で毎日数時間程度行う業務、長時間にわたつて腰部の伸展を行うことのできない同一作業姿勢を持続して行う業務、腰部に著しく粗大な振動を受ける作業を継続して行う業務など、腰部に過度の負担のかかる業務に三か月から数年以内従事した労働者に発症する腰痛であつて、例を上げると、重度心身障害児施設で障害児を世話して働く保母などが罹患しやすいといわれている。また非災害性慢性腰痛症は、重量物を取り扱う業務又は腰部に過度の負担のかかる業務に相当長期間(おおむね一〇年以上をいう。)にわたつて継続して従事する労働者に発症した慢性的な腰痛であり、例を上げると、港湾労働者に多くの発症例がみられるといわれる。
(三) 次に基発第五九号通達によると、認定基準として、
(1) 指先でキーをたたく業務、その他上肢(上肢、前腕、手、指のほか肩甲帯を含む。)を過度に使用する業務に従事する労働者が、次のイ〜ハに該当する症状を呈し、医学上療養が必要であると認められる場合には、労基則別表第1の2第3号4に該当する疾病として取り扱われたい。
イ(略)
ロ(略)
ハ 上肢の動的筋労作(例えば打鍵などのくり返し作業)または上肢の静的筋労作(例えば上肢の前・側方挙上位などの一定の姿勢を継続してとる作業をいうが、頸部を前屈位で保持することが必要とされる作業を含むものとする。)を主とする業務に相当期間継続して従事する労働者であつて、その業務量が同種の他の労働者と比較して過重である場合または業務量に大きな波がある場合において、次の(イ)及び(ロ)に該当するような症状(いわゆる「頸肩腕症候群」)を呈し、それらが当該業務以外の原因によるものでないと認められ、かつ、当該業務の継続によりその症状が持続するか、または増悪の傾向を示すものであること。
(イ)(略)
(ロ)(略)
(2) 症状の判断に当たつては、前項に掲げる各症状に対する診断病名は多種多様にわたることが考えられる実情にあるので、単に診断名のみをもつて判断することを厳に慎しみ、専門医によつて詳細には握された症状及び所見を主に行うこと。
とされ、右の(1)のハについて、詳しい解説が付加され、業務上の認定にあたつては、当該労働者の作業態様、作業従事期間及び業務量から見て、本症の発症が医学常識上業務に起因するものとして納得しうるものであることが必要であるとし、作業態様については、上肢の動的筋労作とは、カードせん孔機・会計機の操作、電話交換の業務、速記の業務のように、主として手、指のくり返し作業をいう。また静的筋労作とは、ベルトコンベヤーを使用して行う調整、検査作業のように、ほぼ持続的に主として上肢を前方あるいは側方挙上位に空間に保持するとか、顕微鏡使用による作業のように頸部前屈など一定の頭位保持を必要とするような作業をいう。としており、発症までの作業従事期間も一般的には六か月程度以上のものであること、業務量については、同一企業の中の同性にして作業態様、年齢及び熟練度が同程度の労働者と比較した場合に業務量が過重と判断されることなどを掲げている。
なお業務上の頸肩腕症候群に罹患した場合でも、その原因となる業務を離れ、適切な療養(薬物療法・理学療法・体操・作業上の配慮・生活指導など。)を行えば、おおむね三か月程度でその症状は消退するものであり、三か月を経過しても、なお順調に症状が軽快しない場合には、他の疾病を疑う必要があると説明される。
2 そこで、原告の前記疾病が前記二で認定の原告の行つてきた業務に起因するかどうか、業務との相当因果関係の有無を判断するにつき、前掲各通達の認定基準がそのまま適用され、これに拘束されるものではないけれども、これら通達の認定基準は参考とするに足る資料であるから、右認定基準に照らし検討を進める。
(一) 原告が尼崎労働基準監督署に対して昭和五〇年一二月一日付で罹患の腰痛症及び頸肩腕症候群につき労災保険支給の認定を申請したこと、右申請に対し腰痛症については業務に起因するとして労災の認定がなされたが、頸肩腕症候群については業務外として労災の認定が拒否されたこと、しかるに、その後さらに頸肩腕症候群につき労災保険支給の認定を申請したところ、昭和五一年一〇月二六日業務に起因するものとして労災の認定がなされていることは、前記認定のとおりである。
(二) ところで、まず原告の腰痛症についての労災認定が右腰痛症を災害性の腰痛症と認定したのか、非災害性の腰痛症と認定したのか、必ずしも明らかではないが、災害性の腰痛症との認定であればともかく、非災害性の腰痛症と認定しているのであれば、そのような認定は疑問といわざるをえない。というのも、原告の腰痛症の発症は、前記三2に認定のように、昭和四九年一〇月一六日会館内でビール瓶を運搬すべく、ビール瓶入り箱を持ち上げた際に俗にいうギックリ腰といつた様相の症状に罹患し(腰部捻挫と診断されている。)、以後医療機関で治療を続けたが治癒をみないうち、昭和五〇年四月二二日会館内でテーブルをふいていた際にころんで腰を痛めた(これも腰部捻挫と診断されている。)ことにより、腰痛症が増悪化し、治療を続けるもなかなか治癒しないというものであるから、この段階では原告の腰痛症は災害性の腰痛とみなければならない余地が大であり、そして右腰痛の発症は原告において被告の業務を執行中の出来事に由来するものであるから、昭和五〇年一二月頃の段階で右腰痛症を業務上の災害と認定したとしても、これをもつて当をえないとまでは断定しえない。しかしながら原告の腰痛症を非災害性の腰痛症であり、しかもそれが前記二で認定の原告の会館における業務から起因するものというのであれば、甚だしく疑問である。なるほど、前認定のように、原告の会館における業務内容は多様で、会館内の掃除をはじめ、とりわけ会館利用者が宴会を開催する場合には、食事の調理補助・配膳作業や飲食物の客室への持ち運び、宴会終了後の下げ膳、跡かたづけ、食器の洗浄の補助といつた作業ではあるけれども、右作業内容は、その態様、作業従事期間からみて、腰部に過度の負担のかかる業務とはいえないし、またその作業の質量が過重であつたとは決していえないのであるから、原告の腰痛症を会館において原告が従事した日常の業務に起因する非災害性の腰痛と認めるのは疑わしく、否定的に解するのが相当である。
(三) 次に、原告の頸肩腕症候群についての労災認定は、再度の申請で認定されたというのであるが、前記二で認定の原告の会館における業務に起因するということは疑問である。というのも、前認定のように、原告の業務内容には上肢の動的筋労作または静的筋労作の作業を相当期間続けるといつた作業態様は見当らないのであつて、なるほど、その行つた作業のうちに荷物の持ち運びをくり返すといつた作業や、一時的に前かがみの姿勢をとらなければならない作業が含まれているけれども、このような作業に日常的に継続して従事していたわけのものではなく、その分担する業務の内容、性質から時間的余裕をもつて従事できたことが窺えること、そして原告は昭和五〇年六月にいたり、頸肩腕症候群の発症ということで、前記の腰痛症の治療と併せるが、以後約一年間は業務を休職扱いにして休業し、またそのあとの九か月間は、作業上の配慮を受けることになつて軽作業に従事し、その間医療機関による治療が続けられたというのに、なお症状が軽快しないというのは、前記の業務上の頸肩腕症候群に罹患した場合でも、その原因となる業務を離れて適切な療養を行い、ある程度の期間を経過すれば、その症状は消退して軽快に向うのが通例ということに対比すると、異常といわざるをえない。原告の罹患する頸肩腕症候群が前記二で認定の原告の会館における業務に起因するとみることに疑問があるという所以である。
(四) 原告は昭和七年一二月一三日生れであるから会館に就職した当時は三七歳の年齢であつたことになるが、<証拠>によると、原告は、昭和四六年二月頃から昭和五三年六月頃にかけ、殆ど毎月といつてよいほど、その間約二〇か所に及ぶ医療機関で、身体各部にわたる疾患により診察治療を受けているのであるが、そこで診断されている疾患は、腰痛症、頸肩腕症候群を除いても、感冒、湿疹、急性気管支炎、胃炎、急性結膜炎、眼精疲労、急性鼻咽頭炎、急性中耳炎、蕁麻疹、急性副鼻腔炎、急性膀胱炎、両搏性結膜炎、両中耳カタル、急性扁桃腺炎、低血圧症、多発性関節炎、神経痛、インフルエンザ、精神神経症、自律神経失調症、貧血症、メニエール氏病、肝機能障害等々といつた、きわめて広範多様な疾患であつて多病であつたことが認められるので、この認定事実からすると、原告には身体的精神的に多くの病的素因が潜在していたのではないかとさえ疑われる。そして原告のこのような多病は、会館における原告の業務の内容、その質量が原告の主張するように過重、苛酷であつたことに由来するといつた形跡は、これを肯定するに足る証拠はないのである。
とすると、原告の主張する腰痛症、頸肩腕症候群の発症を会館における原告の業務に起因すると認めることには多分に疑いが残り、右疾病が被告が原告に課した会館における業務に起因し、その間に相当因果関係の存在を肯定することの心証は惹きえないといわざるをえない。
五被告の責任
使用者は労働契約に基づき、労働者の安全と健康に被害が発生しないよう適切な措置を講ずる注意義務、いわゆる安全配慮義務を負うものであるから、被告が労働契約の存続中使用者として原告の安全健康に配慮しなければならないが、しかしながら前記認定のとおり、本件において原告が主張する腰痛症及び頸肩腕症候群の疾病は、被告の指示監督のもとに原告が会館において行つてきた業務に起因し、その間に相当因果関係があると認めることはできないのであるから、右疾病が被告の原告に対する安全配慮義務の違反によつてもたらされたということはできない。もつとも、原告の腰痛症については、原告が被告の業務を執行中の昭和四九年一〇月一六日及び昭和五〇年四月二二日における作業に起因するものであれば、それは業務に起因するものであることは前記のとおりであるけれども、この腰痛症の発症は、前記の作業の実態に照らすと、作業中の突発的な出来事に由来し、いわば不慮の出来事というべく、被告において予見することのできない事態に属するというべきであるから、これをもつて被告の安全配慮義務の違反に基づくということはできない。もともと原告の主張する腰痛症は会館の日常の業務に起因するいわゆる非災害性の腰痛ということであるから、前記のように解するのが相当であり、結局腰痛症について安全配慮義務の違反がないことに変りはない。
してみると、原告が主張する腰痛症及び頸肩腕症候群の疾病が業務に起因するものではないので、使用者である被告には右疾病の発症を予防すべき安全健康の配慮義務の違反ないし不注意によつてこれを尽さなかつた過失はないというべく、安全配慮義務の不履行或いは不法行為による責任はない。
六従つて、原告の右疾病が被告の安全配慮義務の違反によつて生じたものであるとして、被告に債務不履行又は不法行為による損害賠償責任があるとする原告の請求はその前提を欠くことになるから、その余の判断に及ぶまでもなく失当といわざるをえない。
第二厚生年金保険の加入懈怠に基づく損害賠償請求について
一会館は、前記のとおり被告の会員の保健、保養若しくは宿泊又は教養のための一施設で被告が尼崎市から委託を受けて管理運営するものであるから被告の事業の事業所であり、原告と原告の夫幹雄が会館に勤務当時の会館従業員数は五名であつたので、常時五人以上の従業員を使用する事業所にあたる。ところで<証拠>によれば、被告は、会館以外に、被告の会員の福利厚生事業として業者委託による食堂、喫茶室、売店等の施設を有しているものの、自らが雇用した従業員を使用して事業を行う事業所を会館のほかには他に有していないことが認められる。
そこで被告の事業所である会館が厚年法六条一項に定める厚生年金保険の強制適用を受ける事業所か、或いは同条二項の任意適用の事業所かを考えるに、会館の事業は、前記のとおり、会合や宿泊、スポーツ、娯楽遊戯等の利用者のために、各客室・テニスコート・集会室・娯楽室等の場所や器具・設備・飲食物等を提供し、サービスをすることを目的とするものであるから、原告主張の同条一項一号チ及びリに規定の物の販売又は配給の事業、或いは金融又は保険の事業にあたらないといわなければならない。けだし、会館は場所等の提供、サービスをもつぱらの事業とするものであつて、物品の販売業とは全然異なるし、物を有料で保存・管理する事業または賃料を得て物を貸与することを業とするものでもない。
会館の事業は厚年法六条一号のイからタにわたつて掲げられている事業を行う事業所には該当しないというべく、従つて六条一項の強制適用の事業所にはあたらず、結局六条二項の任意適用の事業所といわなければならない。
してみると、会館を厚生年金保険の強制適用事業所にあたるとの原告の主張は失当というべきである。
二被告が会館の事業所において幹雄死亡の昭和五〇年一一月一五日当時厚生年金保険に加入しておらず、昭和五二年八月一日に至りこれに加入したことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、被告が右保険に加入したのも、昭和五二年に至り会館従業員の二分の一以上の同意が得られたため、任意適用事業所として加入すべく申請手続を行なつたところ、社会保険事務所より「強制適用事業所としての加入の方が手続が簡単であり、任意適用であれ強制適用であれ、適用後の効果に差異がない」との理由で強制適用事業所としての加入手続を勧められたため、被告もすみやかな適用を希望して強制適用事業所としての加入申請手続をとつたものであることが認められるが、会館が任意適用事業所であつたことにはかわりはない。
三そうすると、会館が強制適用事業所であるにもかかわらず、被告が厚生年金保険加入の手続を懈怠したのは、雇用主としての被告の責任であるとする原告の損害賠償請求は、その前提を欠くことになるから、その余の点につき判断するまでもなく、失当といわなければならない。
第三結論
以上の次第であるから、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官坂詰幸次郎 裁判官森田富人 裁判官藤本久俊)